梅毒に関するアラカルト
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梅毒の発生時期とその由来について
梅毒は15世紀末に突如として歴史上に登場したために、梅毒の由来については諸説あります。
これは丁度、AIDSが突如として歴史上に登場したのと同じ事です。
梅毒は、15世紀以前からヨーロッパ・アジア・アフリカなどの旧大陸に存在していたとする説がありますが、梅毒による病変を示す人骨等の具体的資料は無く、梅毒が昔から旧大陸に存在していたという支持者はほとんどいません。
クリストファー・コロンブスの率いる探検隊がアメリカ上陸時に原住民女性と交わって感染し、ヨーロッパに持ち帰り、以後世界に蔓延したとする説が現在では最も有力視されています。
流行当初の梅毒は激しい症状を起こしていた!!
中世の梅毒に関する記録によると患者は、
・非常に大きな吹き出物が全身にできる。
・骨まで化膿する。
・肉が顔から削げ落ちる。
・死亡率は50%を超えていた。
当時の日本の梅毒はどの様なものであったのか?
日本においては1512年に初めて記録に登場します。
ヨーロッパでの流行から僅か20年で日本に上陸。
当時の琉球においては、激烈な流行をした。
※当時の諺に、「自惚と瘡気の者はない」と言われるほど流行していた。
梅毒による鼻欠
当時の梅毒は強毒のために、鼻部の軟骨炎を引き起こし鞍鼻(あんび)や鼻の欠損になることがあった。
江戸時代の川柳に、
『鷹の名にお花お千代はきつい事』と詠まれている。
これは、江戸時代の夜鷹などには『鼻欠け』が多かったことにより、“お花お千代”とは“お鼻落ちよ”に掛けたものです。
一時期梅毒とハンセン病が混同されたことがある
ハンセン病に感染すると、梅毒と同様に顔の肉が落ち、鼻が欠ける症状を引き起こしていたことから、一時期梅毒とハンセン病が同じ感染症と混同されていた時期があった。
梅毒は抗生物質に抵抗性を待たない??!!
ペニシリンを始めとしてほとんどの抗生物質に対して、抵抗性を持たないことから、抗生物質で非常に良い治療効果が得られますが、如何せん梅毒の根絶はされること無く、 現在でも流行は全世界的に起こっています。
梅毒治療の変遷
1.水銀療法
水銀の副作用で死亡する例が多かった。
2.グアヤック(癒瘡木)療法
西インド諸島に由来する病気だから、その地方にある薬草が有効と考えられて行われたがその効果はなし。
3.マラリア療法
末期の梅毒で精神症状が出現していた患者が、マラリアに罹患すると症状が改善したことから、梅毒トレポネーマは熱に弱いとして、梅毒患者にマラリアを人為的に感染させて 高熱を出させ、その後キニーネで治療する方法がワグナー・ヤウレッグによって提唱された。
ワグナー・ヤウレッグは、この業績によって1927年「麻痺性痴呆に対するマラリア接種の治療効果の発見」でノーベル賞受賞。
しかし治療効果はいまいちであった。
4.魔法の弾丸サルバルサン
1910年、ドイツのパウル・エールリヒと日本の秦佐八郎が合成した有機ヒ素化合物で、スピロヘータ感染症の特効薬として、梅毒治療に画期的な効果を発揮することになりますが、 強い毒性を持つヒ素を含む化合物であり副作用が多く起こりましたが、ペニシリンの登場までこの薬剤は使い続けられますが、今日では医療用としては使用されていません。
5.ペニシリン
フレミングによるアオカビからのペニシリン発見により、梅毒に対しては劇的な効果を表す事になりますが、性に関係した感染症として撲滅には程遠いのが現状です。
written by 血液の鉄人
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